資格は必要なのか、不要なのか。学び直しと資格取得の実体験から、その本当の価値を紐解きます
はじめまして、nanamiです。私は、ある程度の社会人経験を積んでから通信制大学で学び直し、卒業論文ではS評価をいただきました。現在はライターとして活動しながら、国家資格キャリアコンサルタントの資格も持っています。
なぜ、長年編集者としてキャリアを積んできた私が、あえて「学び直し」の道を選んだのか。その具体的な理由はまた別の機会に詳しくお話しできればと思います。
一見すると「意欲的なキャリア」に見えるかもしれませんが、その裏側では、人よりずっと遠回りをし、効率の悪い努力を重ねる日々が続いていました。
この記事は、よくある華やかな「成功体験」を語るものではありません。大学での卒論執筆や資格取得のプロセスで、もがきながら見つけた「本当の収穫」についてのお話です。
「資格は必要なのか?不要なのか?」「早く結果を出さなきゃ」 …そんなふうに、悩んだり焦ったりしてしまうあなたへ。
心がふっと軽くなることを願いながら、今の私が感じるありのままの本音を綴ります。
卒論S評価の裏側:深夜のデスクが教えてくれた「書く筋力」
灯りをともした深夜のデスクで、私は自分の言葉を磨いていました。
働きながら通信制大学を受講していた間、私の学習拠点は、家中が静まり返った深夜のデスクでした。昼間は仕事、夜は家族との時間。ようやく自分が一人になれるその時間に、海外の古典文学と向き合い、多くのレポートを書き続けました。
それで得たのは、単なる学位ではありません。卒業論文で最高評価「S」をいただくまでのプロセスで磨かれたのは、今も私を支える「書くことの真髄」でした。
物語の裏に広がる大きな世界を見つめて
文学作品は、一見すると単純な物語のように見えても、その裏側には作家が取り込んだ膨大な情報と、緻密に計算された伏線、重厚な歴史が隠されています。
卒論で評価をいただけた理由は、文章を整えただけではなく、「見えない世界」を紐解くためのリサーチに時間を惜しまなかった点にあったと感じています。
核となる言葉に、作家がどのような意味を宿らせたのか。自分が立てた仮説を立証するため、多くの文献を読み解いていきました。
答えのない問いを積み重ねた、思考体力
論文の各章のキーワードを決め、関連する史実や思想をノートに書き出すこと。点と点が結びつくまで、何度も何度も多量な文献を往復すること。それは、仕事と家事をこなす日々の中で、体力的にも精神的にも困難な作業でした。
提出期日が迫る中、「もう、無理かもしれない」と一度は諦めかけたのも事実です。
それでも、「せっかく始めた学びを最後までやり遂げたい」と自分を奮い立たせ、睡眠時間を削って机に向かい続けました。
その過程で培われた「書く筋力」が、今、ライターとして言葉を紡ぐ私の揺るぎない土台となっています。
一発合格の先に待っていた「キャリコンの誤算」
合格は終わりではなく、問いの始まりでした。
大人になってから進んだ大学での学びの場では、それぞれの思いを抱いた人たちから、多くの刺激を受けました。
卒業後しばらくは、仕事に集中する日々が続きましたが、学友たちが再び新しい道へ挑戦していく姿に触れ、私もセカンドキャリアに向けて一歩踏み出すことを決めました。
目指したのは、国家資格「キャリアコンサルタント」です。
かつて、働くママを応援するメールマガジン「がんばるんばママ」を友人と配信していたことがあります。けれど、その活動の中で、自分の力不足を何度も痛感していたからです。
名称独占資格としての信頼性に惹かれ、「資格を取れば、もっと誰かの力になれるのではないか」と考えたのです。
猛勉強の末、思いがけず一発合格という結果を手にしました。
しかし、それはゴールではありませんでした。
登録証を手にし、いざ踏み出した先に広がっていたのは、思い描いていた理想とは少し違う現実。
そのとき初めて、私は「資格とは何か」を本当の意味で考えることになりました。
「資格があること」と「仕事があること」は別物
キャリアコンサルタントは、弁護士や税理士のような「業務独占資格」ではありません。
相談業務そのものは、必ずしもキャリコンの資格を持っていなければ行えない仕事ではないのが現実です。
一方で、この資格を取得することで、「キャリアコンサルタント」と名乗るための公的な基盤と、一定の専門性を学んだ証は得られます。資格は、信頼関係を築くための大切なスタートラインであり、決して無意味なものではありません。
ただ、独立して生計を立て、仕事を得続けていくためには、それだけでは足りませんでした。
この「資格の性質」を、私はどこか楽観的に捉えていたのだと思います。
実際には、資格に加えて、自分を知ってもらうための営業力や、相談者から選ばれるための特化した経験が不可欠だったのです。
知識だけでは埋められない、人の心に寄り添うことの難しさ
資格学校でプロとしての技術を学んでいた頃、私は自分の未熟さを突きつけられていました。
「今のキャリアのままでいいのか」という将来への不安。
「何者かになりたい」という漠然とした焦り。
そして、自分一人の人間性だけで、誰かの人生に寄り添えるだろうかという心細さ。
そんな自分自身のもろさを、
「国家資格」という重厚な鎧で覆い隠してしまえば、なんとかなる。
どこかでそう信じて、資格という盾を必死に築いていたのかもしれません。
しかし、他者の人生に寄り添う現場で求められたのは、鎧の立派さではなく、鎧を脱いだ一人の人間として向き合う「覚悟」でした。
本音で語る。資格は必要か?不要か?
「資格なんて意味がない」という声もあれば、「資格がないと不安」という声もあります。両方を経験した私が今、確信している答えを綴ります。
資格とは、自分を信じるための心のともしび
確かに、資格はその仕事をするために必要なもの、プロとして認められるための証明書といった、現実的に欠かせない役割を持っています。
しかし、実際に手にしてみて気づいたのは、それ以上に大きな価値が「目に見えない場所」にあったということでした。
資格を取得するまでの間は、人に会うことも、やりたいことも控える日々でした。けれど振り返ってみれば、深夜まで学び続けた孤独な時間そのものが、私にとって、なによりの報酬だったのです。
それは、「私はやり遂げた」という確かな実感でした。その手応えは、今も私の内側を静かに照らし続けています。
今だからそう思えるのかもしれません。
資格とは、自分をアピールするための道具である以前に、暗い足元を照らし、自分自身を信じ続けるための「心のともしび」なのだと思います。
目的が変われば、資格の価値も変わる
もし、資格を「人生を劇的に変えてくれるもの」だと期待すれば、思うような結果が出なかったとき、「失敗」に見えてしまうこともあるでしょう。しかし、それを「自分の世界を広げるためのフリー切符」だと捉えれば、その学びは決して無駄にはなりません。
キャリアコンサルタントとしての学びを通して、私は「人のキャリアの痛み」を以前よりも深く理解できるようになりました。
その理解は、現在のライティングや絵本セラピーのコラムに、奥行きを与えています。
実は、通信制大学での学びは思いがけない形でも実を結びました。大学でのレポート作成を通して磨いた視点が、「絵本・児童文学研究センター」の通信講座でのレポート大賞・名誉会長賞受賞という形で評価されたのです。
通信制大学で単位を重ね、卒業へと歩む中で欠かせなかったのは、「レポート」という静かな積み重ねでした。
忙しい日々の合間に「書く」ことと向き合い続けた時間。
その地道な歩みが、やがて私を「絵本セラピー」のコラムを書くという新たな世界へと導いてくれました。
資格は、「今さら」ではなく「今から」の自分に贈るギフト
歳月を重ねるなかで、年齢や家族の介護という制約に直面することもあります。それでも、学んでいる瞬間の私たちは、何者にも縛られず自由です。
努力して手に入れた「肩書」は、新しい一歩を踏み出すときの行き先をそっと照らしてくれる、「小さなともしび」のようなものです。
資格は過去の努力の証であり、未来の自分への贈り物でもあります。
「今さら」と思える年齢であっても、「今から」始めることで、自分自身に贈るギフトになるのです。
学びの先に、描き出したい景色がある
迷いながら進んだ日々は、やがてあなたの宝物になります。
大きなお金や時間をかけて挑戦したことが、もし「自分には合っていなかった」とわかったとしても、それは決して失敗ではありません。
そんなときは、勇気を持って立ち止まってもいいのです。やり直すことは、何度だってできます。
人生の岐路で迷うことがあったとしても、たとえそれが「効率の悪い遠回り」に見えたとしても、そのプロセスそのものを認めてあげることが、何より大切だと思います。
私が積み上げてきたこれらの葛藤や努力も、いつか一冊の物語を編むための、かけがえのない「背景画」になる。そう信じています。
学びに遅すぎることはありません。あなたが今日、自分のために費やした時間は、いつか必ず未来の自分を救う「宝物」になります。
資格は、その学びを形として残し、次の一歩を支えるための一つの手段です。
その学びを、あなたはどんな形で未来へつないでいくでしょうか。
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